2023年8月三陸・東北旅行記①
お久しぶりです。ブログの更新をすっかりサボっていたのでリハビリがてら今年8月の旅行についてちょっくら書こうかなと思います。よろしくお願いします。
2023年8月23日 -0日目-
皆さんは京都から東北へ行こうとする時、どの交通手段を使おうと考えるだろうか。
飛行機、もしくは新幹線だろうか。
しかし残念なことに、私が住んでいる京都市近辺に空港はなく、また新幹線は東京を経由する上に切符代もそこそこかかる。
大学生の夏休みらしくお金は無いが時間はあるということで、一日かけて18きっぷで行くことも考えたが、今年の夏は大学のサークルや就職活動もあり、時間を浪費できるほどの日数を取ることもできなかった。現に、私はこの日の夕方まで大学で雑務を行っていたのだ。
では、できるだけ安く、効率的に移動するためにはどうすればいいのだろうか。
JAMJAMライナー JX362便 仙台行き
京都駅八条口→ヨドバシ仙台第一ビルバスターミナル
限界夜行バスのお時間がやって参りました。
京都駅を22時15分に発車し、名神・北陸道・磐越道・東北道を走って明朝9時に仙台に着く便である。乗車時間約11時間。飛行機であれば太平洋を越えてアメリカにさえ行ける。
さらに驚くべき点は、この便はここから約70km離れた神戸三宮始発で、三宮から乗ると13時間。ほぼ軟禁・拘留である。
夜行バス界のキング・オブ・キング、はかた号の乗車時間が約14時間であることを考えると、今から乗るバスもかなり肉薄するクイーンといったところだろうか。
ただし、このバスははかた号と明らかに違う点がある。
それは、4列シートがあるという点だ。おかしいだろ。
しかし、今回私が乗るのは前側、3列シートである。
これは私がチキったという訳ではなく、予約時点でバスの4列部分がすべて埋まっており、3列に1席だけ空きがあった、という状態だったためである。なんで?
バスが来て、前側にある3列シートの右側の窓席にたどり着く。
小学生の時に初めて親と夜行バスで東京に行ってから、約10年ぶりに3列シートである。
普段4列しか乗らない私がその幸せを嚙みしめる間もなく、バスは京都駅を定刻通りに発車した。
京都駅を出ると乗務員さんからの案内があったのち、やがて、竹田のインターチェンジに乗るあたりで消灯した。
22時半である。
眠くない....
22時半というと、まだ住宅街には電気が灯り、眼下を走る電車に乗れば奈良や大阪へだって行けてしまう時間帯である。
別に眠くないのに消灯してしまった。
通路との間に仕切りがあれば、個室になっていれば、まだスマホで時間を潰すことも出来たかもしれないが、そんなものはなく、11時間も苦楽を共に分かち合う周辺の乗客から敵意を向けられるのは流石に憚られる。
なので、私は数時間前に京都駅のヨドバシで買ったBluetoothイヤホンを装着し、ボカロ音楽のプレイリストを聞きながらただ目を閉じていた。
幸い京都駅の乗務員の案内で、すぐに多賀SAで休憩を取ることが分かっていたので、あまり苦ではなかった。
多賀SAを発車してからは発車前に飲んだチューハイが効き始めたのか、すぐにスイッチが切れたかのように眠った。
2023年8月24日 -1日目-
深夜2時半。
バスが停車するGで目が覚めた。
ここはどこだ。
調べると富山県の魚津の近くらしい。
寝ている間にずいぶん遠くまで来たなあ...と思いストレッチがてら車外に出てSAの写真を撮った。
有磯海SAを出ると効きすぎた冷房のせいか、腹ブロー*1を起こしたが、幸いこのバスには真ん中にトイレがあり、九死に一生を得た。
普段乗っている4列ピンチケバスであれば一巻の終わりであった。
バスのど真ん中にトイレを載せようと構造を工夫した人には感謝しかない。
腹ブローが収まったところで座席に戻り、適当にボカロ曲を聴いていると、また眠りがゆっくりとやってきた。上郡駅前の公園や普段のオール飲みなどで培われてきたどこでも寝れる体質に感謝しながら、また眠りにつく。
朝5時。
窓の隙間から朝日が差し込む。
暗くないしもう良いだろうとスマホを取り出して位置を確認する。
ヤコバ起きたら一般道走ってるんだけどなんで...? pic.twitter.com/bd4CIpuhSN
— Rokkan (@Rokkanizr) 2023年8月23日
バスは何故か高速道路ではなく、一般道を走っている。
調べてみるとどうやら工事のため磐越道を北陸道の接続部分が通行止めになっているらしい。
調べていたら羽越本線の水原駅近くの踏切を渡った。朝5時に関西から仙台に行くバスが新潟の田舎駅の踏切を渡っているのはだいぶシュールだなと思いつつ、特にすることもなかったので2度寝への扉を開けた。
…
目覚めるとバスは仙台市街を走っていた。なんて都合の良い体質をしているんだ。
バスは定刻通り仙台駅に到着した。途中一般道を走っていたのに定刻通り着いたのには結構驚いた。
仙台駅で北東パスの発券を行った後、仙台駅から歩いて行ける、とある場所へと行った。
仙台花京院通郵便局である。
この郵便局はエメラルドグリーンである。
この色は花京院典明のスタンド、ハイエロファント・グリーン(法王の緑)に似ている。
よってこれは花京院典明である。
前回仙台にジョジョの聖地巡りで行けなかった場所だったので来てみたが、実際に見てみるとただの都会の郵便局であった。写真を撮り、歩いてあおば通駅へ向かう。
仙台で一番やりたかったことは、この仙石線に乗ることである。
まずはやってきた小鶴新田行きに乗って、終点の小鶴新田まで向かおうとしよう。
ここで降りた理由はここが終点であったこと以外に、全国でも貴重な中期型の簡易永楽型放送を使用しており、収録したかったという理由もある。
駅のすぐ横ではタワーマンションが建設中で、いかにも仙台近郊の通勤圏という装いである。
この後、あおば通駅まで戻り、あおば通駅の放送を一通り収録したあとに今度は1~2時間に1本しかない石巻行きの電車に乗って石巻に向かうこととした。
多賀城、塩釜といった街を通り過ぎる。本塩釜駅を出たところで港町という風景が広がって、旅に出ているぞ、という感じがしてとてもよい。
また、陸前浜田駅近くで列車は海の近くを通る。青々とした空と海に挟まれて映る松島は、網膜の記憶に今も焼き付いて離れない。
列車は松島海岸駅に到着し、大半の旅行客がここで降りた。列車はここで対向列車と行き違いをするらしい。
反対側のホームには大勢のお客さんが待っている。松島には以前フォロワーに車で連れてきてもらったことがあるが、仙石線に乗って通るのは初めてで、観光路線としても仙石線は申し分ない働きをしていることを感じる。
列車はそのあと海辺と平野を快走し、終点の石巻に到着した。
奥に止まっているのは石巻貨物だろうか。私は貨物列車には詳しくないのだが、石巻には貨物線があり、石巻線を通って仙台まで行くということは耳にしたことがある。
そんな石巻であるが、また後の時間帯に来るので、乗ってきた電車の向かいに止まっていた仙石東北ラインで折り返し、とある場所に向かった。
この駅、実は、2015年に今の高台の場所に移転開業しているのだ。
2011年に発生した東日本大震災において、東北地方の太平洋沿岸部は甚大な被害を受けた。当駅もその1つで、駅構内が津波による甚大な被害を受けた。
津波の被害を受けた駅舎や駅ホームは現在、東松島市震災復興伝承館として保存されている。
実は今回、東日本大震災の震災遺構を巡るというテーマを設定している。
普段旅行に行く際は行き当たりばったりで、電車に乗りながらGoogle MAPを見て、気になった場所に降りるというスタンスで行っていたが、今回は事前に行きたい場所を調べ、そこに余裕を持ったスケジュールで行く、という姿勢で旅行していこうと思う。
これが本来の旅行の姿では?という質問は異常移動独身男性には愚問である。
高台から新しめの地下通路を通り、坂を下っていくと、野蒜駅の旧ホームが見えてきた。
旧駅舎は海側にあり、その前に駅ホームが横たわっている。
8月の宮城、野蒜駅から歩いて10分程度とはいえ暑さは厳しく、吸い込まれるように駅舎の中へと入って行った。駅ホームは中の展示を見てからじっくりと観察しよう。
旧駅舎の中に入る。
入場料は無料で、入ると復興支援でラルフローレンがハンカチを無料配布していたので、その恩恵にあずかる。ちょうどハンカチを家に忘れていたので助かる。
2階には東松島市の被災状況が展示されていた。
2011年当時、私や周りの親戚一同は全員愛知県より西に住んでいて、小学生だった私に東北や関東に知り合いがいるわけもなかったので、正直「対岸の火事」という表現が一番正しかったと思う。
しかし、テレビで何となく見ていた津波の脅威が、目の前に実物として表れている。また、2階で放映されていた小学生から高齢者まで、さまざまな年代の津波の生存者の語りをまとめたドキュメンタリービデオには見入ってしまった。
私と同年代、もしくはそれよりも下の子どもたちが津波の脅威を経験しながらも、故郷に残り、たくましく生きている様子は、自分の心も締め付けられるような思いである。
1階に下ると、被災を経験した東松山市がどのように現在まで復興の道なりを辿っているのかを展示している。
ここでもう1度受付に目をやると、ビデオで被災されていた主婦の方が受付で談笑しているのを見て、被災された方が今も元気に故郷(かどうかは分からないが)で働けているんだなあ、と復興が一歩ずつ進んでいるという実感が湧いた。
本来は野蒜駅を1時間後に出る列車に乗るつもりだったが、ビデオに見入ってしまい、滞在時間をもう1時間伸ばすことに。出来た時間で1階のノートに復興への願いを書き込む。
外に出て、旧駅舎周辺を散策する。
駅前を東名運河が流れている。
駅舎から数分歩くと、海岸線が見えてきた。
今は波もなく、とても穏やかな水辺だが、2011年のあの日にはこれらが津波として日常の暮らしを奪っていった。
考えられない話だが、私も歩いて海が見える位置に実家があるのだ。決して他人事ではない。
行きに素通りした駅ホームをぐるっと観察する。
一見普通のホームに見えるが、よく見ると向こうにぐにゃりと曲がった線路が見える。
また、駅看板は曲がり、地面はひび割れ、電柱はマイケル・ジャクソンばりに斜めになっており、津波の力を思い知らされる。
開業当時は駅ホームにも入れたらしいが、ここ最近の地震の影響で駅ホームが破損し、中に入れなくなっていた。地震から12年経った今でも、東日本大震災の余震が続いているらしい。
滞在時間約1時間半。想像していたよりもめちゃくちゃ見ごたえがあっていい施設だった。
帰りに野蒜駅までの坂を上っていく中、ふと振り返ると高台から海岸線が見える。
この穏やかな海が牙を剥いたのだと思うと、行きしにも見ていたはずの海がまったく違うようにも見えた。
ここでは駅放送を録りつつ、石巻駅周辺を散策する。
駅前にはデカいイオンがあると思ったら市役所だし、その前には仁王立ちの覆面男が鎮座している。なんて街だ。
石巻駅には駅名連呼があるのだが、訪問時は操作しないタイプの駅員さんが立っており、収録することが出来なかった。くっそ~
さて、ここからの旅程を説明したいと思う。
まず、夜のメインイベントは、仙台駅20:47発の仙石東北ライン快速女川行きを収録することである。
この列車は仙石東北ラインの列車で唯一石巻から先の石巻線に直通し、女川まで向かう列車であり、石巻~女川間をHB-E210系で運転する唯一の列車である。また、車内放送は田舎のワンマンで使われるような放送ではなく、東京と同じ三浦七緒子氏による放送である。放送鉄として石巻まで来てこの列車を逃すわけはない。
しかし、この列車の致命的な問題として、女川まで行くと、帰りの列車がないのだ。
女川駅周辺にはネットカフェなんてものはもちろん無く、安価の宿泊施設が存在しない。
ならば、どうするか。
なんてことは無い。
帰りの足を自分で用意すればいいのだ。
見知らぬ土地でのドライブである。
この区間を運転して思ったことは、夕方は石巻→女川の流動よりも女川→石巻の流動の方が意外と多いな、ということである。女川原発などの施設から帰宅する人々だろうか。都市の規模的には石巻の方が圧倒的に大きいので、とても意外だった。
峠を越え、約30分で女川駅に着いた。女川駅周辺は広々とした駐車場が無料だったので、とても助かる。
これから列車に乗るために石巻方面へ列車で戻るわけだが、列車が来るまでに時間があったため、駅前から歩いていける震災遺構も見てみる。
旧女川交番である。
津波によって女川も甚大な被害を受け、海近くにあったこの交番は基礎ごともっていかれ、横転してしまった。ここでは横転した交番ごとそのままの状態で展示している。
恐らく地面に埋まっていたであろうコンクリートの柱が野ざらしになっている。
ここまで津波の力は強いものなのか。恐るべきである。
列車の接近が近づいてきたので、5分ほどで駅に戻った。
1面1線のシンプルな駅であった。
程なくして列車が入ってきたので乗り込む。どうやら仙台の方の車両基地で信号故障があったらしく、遅れてやってきた列車はすぐに折り返し小牛田行きとなった。
レンタカーの中からも見ていた万石浦を望みながら石巻へと進む。
この時間になると陽が落ち、周りも何も見えなくなってきたので、ブルアカのデイリーミッションをこなしながら仙台へと戻って行った。
ここでご飯を食べて快速女川行きを待つことにする。
おいしかった。
ということで、1日一本の快速女川行きに乗りこむこととする。
この列車も信号確認のあおりを受けて、20分ほど遅れて発車した。
真っ暗闇の中、いくつもの駅を飛ばしながら疾走し、列車は石巻まで到着。
ここからは女川行きの最終列車である。
石巻線の車内で、ローカルな地名を三浦さんの声で読み上げて行く。違和感の塊である。
列車は終点の女川に到着。ここから折り返して石巻まで回送するらしい。また、朝の女川始発の仙台行きも石巻から回送してくるらしい。せっかくだから乗せて行ってくれよ~
22時半の女川には開いてる店もコンビニくらいしかなく、こうなればさっさと石巻まで車を飛ばすのが吉である。
夕方と違い、ガラガラの道路を走りながら峠を越えていると、左側になにやら物陰が見えた。
幸い気づくのが早く、衝突は避けることが出来たが、街灯もない峠の曲がり角で野生動物と衝突するのはマジ勘弁である。初めての経験だったので普通にビックリした。
そんなトラブルもありつつ、返却期限の1分前に石巻駅の返却場所に到着。
その後は石巻の快活で明日に備えて早めに寝たのでした。
次回に続く~
*1:腹痛の意
オタクにインド旅行の写真を見せてたら架空の旅行記を書かれました
※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません
「キョン!インドに行くわよ!」
はぁ?突然何を言い出すんだこの傍若無人女は。忌憚のない一般高校生代表として言わせてもらうが、学生のうちに海外旅行へ行けるのは修学旅行もしくはスネ夫よろしく相当裕福な家庭くらいだろう。自慢じゃないが一般中流家庭の長男という自覚がある俺には無縁な話だ。そもそも何故インドなんかにわざわざ行かなきゃならんのか。
うちの団長様が言うにはSOS団の活動を世界各国へ広めていきたいんだと。確かに「世界を大いに盛り上げる涼宮ハルヒの団」だが何も本当に海外まで赴かなくてもいいだろう。確かに海外へ行きたいという憧れがないこともないが何せお金がないもんでね。ハルヒもそうじゃないのか?
……なんでも予算は全部鶴屋さんが立て替えてくれるらしい。あの人もあの人で大概だよな……こんなのに協力してくれるなんて弱みでも握られているんじゃないか?
とはいえお金の問題が解決した以上断る理由がなくなってしまったな。ま、団の皆で海外旅行っていうのも青春って感じでいいんじゃないかね。
「何言ってんの?アンタひとりでインドに行くのよ」
……………………は?
来てしまいました東京インターナショナル空港(涼宮ハルヒのSSは終わりです(疲れるので))
ここから俺の旅路が始まるぜ!!
デルヒ……?涼宮デルヒの憂鬱ってこと?
あ、デリーだった(照)
これからインド楽しみすぐるwwwwww
ちょっとさ見てほしい写真があるんだけどさ
これ機内食
見ての通りインド食なんだよね、これから飽きるほど食うっていうのにさ何考えてるんだろ
寿司とか食っとけばよかった
それで無事にインドに着陸しましたよ。ここからは観光地を巡っていくんですけど何せ筆者がインドのことを何も知らないので雰囲気だけで書いていこうと思いますよ。
人ちっちゃwwwガリバートンネルかよ
この建築物は"ジギンの壁"と言い西暦700年代に建てられた建築物です。当時はこれと同じものが左右にズラっと並んでいました。当時この地を制圧していたケプ領とチュンカ領の折り合いが非常に悪く、両者の壁としてこの大きな境界が建てられたと言われています。
ビバレ国立公園にあるハロビン=ガルマンブルの像です。ハロビンはガレーダ独立運動を主導したことで有名です。
インドの紙幣にも描かれているミャブリーゼ神殿ですが聡明な皆さんならこの写真の違和感にもう気づかれているでしょう。
そう、この神殿実は「絵」なんです。全く立体感のない建物像からお分かりになられた方も多いんじゃないでしょうか。
ミャブリーゼ神殿は実在せず、絵画のみに描かれた存在として知られています。その起源は6世紀のレノイ王が他国に自慢するために絵師に描かせたとか。
こちらはちゃんと実体のある建築物。ガジョレータですね。
ガジョレータとは現地の言葉で『要塞』という意味。ナブルガブル宮殿の侵攻には必ずガジョレータに攻め入れなければいけないのですが1000年以上に渡ってただの一度も落とされることのなかった正に要塞。
観光地となってからは耐震工事などで今のガジョレータは3代目となっています。
これは現地でよく見かけるラ・ド・イン・ジェガノという移動式の販売形式ですね。日本だと石焼き芋とかのイメージに近いのかな?
西インドではラマ、東インドではシャメナッツがよく使役されていますね。販売されているものも地域によって結構違うのですが写真で売られていたのは主に衣料品でした。
ジャーラムの街並み。インドの街は大体こんな感じ。こういう国ごとの特色ある街並みを見ると「海外に来たなあ」って思います。
ちなみになんですけど、この写真撮るのに腕を上に伸ばしたら4メートルくらい伸びてびっくりしちゃった。インドってすごい。
インドに来てまで鉄道博物館に行く俺って異端???
顔が「「「「亜」」」」に飲み込まれたトーマス!顔が「「「「亜」」」」に飲み込まれたトーマスじゃないか!!
これ知ってる!人の顔に見えるかカップの形に見えるかの錯視のやつだ!
なんとかの壺って名前だったかな
世界遺産にも登録されているバズクモク・メーシャナ神殿です。ナバネイロ条約が締結された場所として有名ですね。
しかしお腹空いたなあ
記事上では淡々と観光地を巡ってるけど場所が離れてることもあってもう来てから3週間くらい経ってるしなあ
そろそろ日本食が恋しい…
ん?
あ……あれは……!?
すためんが売ってました。なんで?
キャベツだけどこれって完全に二郎系……
いや騙されないぞ こういう"なんちゃって日本食"は大体外れなんだ あーにゃしってる
よし食べるぞ……
ドキドキ……
ん!
普通。
↑しかもデザートに親子丼が出てきた、本当に何?
さてガゾレンポの聖地、アッローノム宮殿に来ましたわよ。
アッローノム宮殿は世界でも珍しく建築資材にヤギやバッファローなどの動物の骨を3割程度使っているんですね。
インド神話に出てくるガゾレンポ神をリスペクトしているんですね。
これはディズニーのアトラクションです。
それはウソだけど120分待ちは本当。アホなの?JALのセールかよ
ちなみに中からの眺めはこんな感じ。すがすがしい気持ちになるなあ!
しかも中にはいい感じのカフェがあってコーヒーと軽食を楽しんだとさ。
非人道的
インドにもすき家ってあるんだ
こういうのは行かないといけないよね いざ出陣
知ってるもののはずなのに外国だと何もかも違うものに見える これもアイカツだね
一番ベーシックな"Grilled Chicken Rice Bowl"を食べよう
₹159か……₹1=100円だから結構財布へのダメージが大きいぞ……
君写真と違くない?
いや味は普通にいけてたんだけどさ
あとこの写真撮ってる時に店員に声かけられて追い出された
すき家の店員に国外追放食らったのでこれでインド旅行はおしまいです
エンディングNo.24「国外追放」
BAD END...
オタクに旅行の写真を見せてたら架空の旅行記を書かれました
↑顔パックで美容にも気を遣う721系くん
「ご乗車ありがとうございました。札幌です。」
途中下車作者の朝は早い。「北海道の玄関口」新千歳空港に到着してから数十分、私は「北海道の玄関口(1)」札幌駅のホームに立っていた。
「ここから俺の旅が始まるんやなって」
そう叫びながら乗り込んだのは回送列車。
「お客様!回送列車です!ご乗車できません!」
なんだ。せっかく日常を離れて北海道までやってきたというのに、こんなところでも世間は俺をルールに縛り付けるのか。
721系のクロスシートが俺をやさしく包み込む。お前だけだよ。俺に寄り添ってくれるのは。
………
まあ、俺は良識ある大人だからちゃんと言うことを聞くんだけどね。
そうでもないとこの世の中生きてけないってもんだ。
自分に言い聞かせる。
"Out of Service"。なんと冷淡な言葉だろう。俺はサービスしてもらえないのかっての。
おじさん泣いちゃう。
なんなら朝じゃなくて夜だったみたいだ。
人間の記憶ってのは怖いもんで、自分が「これだ!」と思った方向にどんどん突き進んでしまう。
この前とある牛めしチェーンに行ったときもそうだった。俺は牛めしの並を注文したのだが、
途中下車作者の夜は遅い。
2023年3月名鉄ダイヤ改正についての所感
<名古屋鉄道>3月18日(土)にダイヤ改正を実施します 1月17日14時発表 https://t.co/28h14G8GOb pic.twitter.com/2SzRkhUW8u
— 鉄道公式リリース by 鉄道コム (@tetsudo_release) 2023年1月17日
推測で物事を語るのはあまり宜しくないけど名鉄ダイヤ改正やりそうな予感プンプンしてんだよな
— みゅ〜ぐ〜 (@Myuguuuuuuuuuuu) 2022年12月20日
・知立上り高架使用開始(3/21より)
・諸般のワンマン改造
・各務原線・知多新線ワンマン設備工事
・豊川線増便(イオンモール豊川開業)
・河和線新駅(2023年度中)
・本線6000撤退による速度向上(?)
(ほんとにやるんだ...)
あ、これ音鉄垢なのでフォローよろしくお願いします。
さすがに白紙ダイヤ改正とまでは行かないものの、今回はいろいろ日中の輸送体系にもテコ入れしていて驚きました。
一言で言うと、テコ入れられそうな箇所全て入れてるなあという感想でした。ただ、ちゃんと前回減便した中で比較的需要が旺盛な箇所を再増便して補ったりと、ちゃんと実地調査してて私の中では好印象です。
約2年前から愛知を離れて京都に住んでいるものの、未だに追ってたりしているので今回は放送面からの視点を加えて所感を述べさせていただきたいと思います。
ワンマン運転区間の拡大(各務原線,知多新線)
長年いつになるかと言わていたこの2路線のワンマン化がついに実施されるようです。
特に各務原線が終日全列車ワンマンということで、全て犬山(三柿野)~名鉄岐阜の運転ということになりました。特に朝ラッシュはあの「774レ」をはじめいろいろな種別行先が存在しているので取材しなければ...
まさかの「犬山経由岐阜」という行先が消滅する可能性が出てきました。豊川線と尾西線ではそれぞれ国府と津島でワンマン→ツーマンに変わる運用(一応前者は国府行き)が設定されているんですが、送り込み、運用を回すためという目的が強く、各務原線は犬山検車区がすぐ近くに存在するためそれをするメリットは薄い気がするんですが、名鉄ならなんかやってくれると信じてます。鶴舞線直通車の三柿野留置営業化とかやりません?
各務原線のワンマンは車内放送に変な放送が付帯する可能性が大なのが怖いですね、犬山から引き続き種別行先変えて運転とか普通にやりそうで怖いです。
知多新線はまあ...
観光地全部車で巡った方が良いしな...
※フォローしておくと知多奥田駅近くの日本福祉大学へ通う学生が結構います
朝間帯を含めた終日にわたる輸送力の適正化
平日朝:列車の削減(24本)および区間縮小(17本)
対象線区:名古屋本線,知多新線,犬山線,広見線,各務原線,瀬戸線
先述した各務原線の直通列車が全て線内完結することとなり、上り16本、下り9本が全て削減or区間縮小となったんですが、犬山経由岐阜行きが走っている常滑線等が含まれていないので、これらは全て各務原線の括りになっているのかなと思います。
他路線は朝ラッシュで何を削ったかは実際にダイヤ見てからのお楽しみということになるのかな、知多新線のワンマン化でなんか影響ありそうな河和線で縮小がないのは意外でした。朝にある内海→富貴→河和の運用とかは残るんでしょうか?
唯一関係なさそうな瀬戸線ですが、テコ入れするとしたら朝に3本ある三郷始発か朝は1本の喜多山行きのどちらかでしょうか。前者は尾張瀬戸から、後者は尾張旭まで回送だった気がします。
瀬戸線は朝に結構どの列車も混むイメージなので、1本減便するだけで大変なことになりそうな気はしますが...
ちなみにもし瀬戸線で1運用まるごと減らすという形になれば、瀬戸線に居る唯一の3300系旧塗装の3306fが瀬戸線にいる必要も無くなるんですが、どうなることやら。
あと新木曽川・笠松の特急の特別通過が無くなるということで、名鉄岐阜駅では「この特急は笠松/新木曽川にはとまりません」という特殊な付帯が流れるのでこの記録はお早めに。
土休日朝に列車の削減(8本)および区間縮小(18本)
新可児発の特急が消滅ということで、残る優等は朝に残るミュースカイだけとなってしまいました。ミュースカイが全車4か国語更新されてるかは知らないんですが、更新前の「日本ライン今渡」、「可児川」、「西可児」、は録り納めになるんでしょうか?
土休日パターンダイヤ
本線急行が一宮止めになるそうです。
まあ一宮から先ってコロナ前でも特急4本で十分な輸送量してた気がするので妥当な気がします。むしろ新木曽川での二重待避が無くなって普通のスピードアップにもつながるのではないかな、と思いました。
内海行き急行と特急が河和行きになり、急行は知多半田から普通になるそうです。
朝ラッシュ限定だった「知多半田から普通」の付帯が一気にメジャーなものとなりましたね~
これのおかげで上ゲが毎時2本から4本になると思いきや、普通が知多半田止めになっているので現状維持ですね、残念。
あと知多新線が富貴~内海運転になるらしいです。
平日・土休日深夜ダイヤ
平日:列車削減31本、区間縮小42本
土休日:列車削減23本、区間縮小33本
もしかしてヤバい?????????????????
羽島市役所前行きとかどうなるんだろう。
広範すぎて予想の立てようがないため実際のダイヤが完成してからのお楽しみ(?)ということで。
あとは空港準急の増結とか急行国府行きがまたレアに戻るみたいですね。
さらっと書いてるけど本宿・美合と新清洲は結構ダメージ大きそうですね、新清洲は3分前の普通に乗れば須ヶ口で縮小した準急に乗れそうだけど
名古屋近辺における利便性の向上
平日に豊明~須ヶ口間の準急が設定されるみたいですね、特に名鉄では珍しく乗降客数1万人を超えている有松からの利便性を意識しているのだと思います。一昨年のダイヤ改正で消されたやつが復活した形となったんでしょうか。
ちなみに現在、準急須ヶ口は土休日朝ラッシュに豊明~神宮前でしか見れません。
※下り列車は津島線の普通として直通←なんやねん
現在平日昼間の津島線ではいつもの吉良急と従来金山止めだった常滑線普通を佐屋まで延長したやつが交互に走ってるんですが、これがまた金山止めになるんでしょうか?
ということで、現時点でわかっている名鉄ダイヤ改正についての所感を述べてみました。
沿線から離れて約2年、僕が乗っていたころとは利用形態が異なることもあると思いますが、今回削減されたのはどれも日中は空いている区間だったイメージなので、まあ適正化されてるんじゃないでしょうか?消滅する設定にダイヤ改正後に気づくパターンが一番後悔するので、これからもゆる~く追っていこうかなと思います。
ではでは。
P.S. これどうなったんですか?
#摩電楼合作 あとがき
摩電楼合作良かったッスね~~~!!!!!!!!!!!!!!!
13分53秒から14分7秒までのサンダーサイバーサイダーパートを担当しました。
不眠解消に貢献しました。(今週のお題:眠れないとき、どうしてる?)
このパートの選曲理由は「BPM変動するし誰も取らなさそう」「第100回記念摩天楼合作でもネタパートだったので作りやすそう」です。初めからネタに振る気マンマンだったので第一希望が通って良かったです。
最初は千葉県内のJRなどで使われている旭型放送を使ってさとちゃん話法で放送をするというプロットを組んでいました。しかし、このご時世なかなか関東の方に行けなかったり、話法を解剖していくにつれ放送の文面とは相性が悪いことが発覚したりと都合が悪くなってしまったためボツにし、急遽SUNTRAS型放送に参加内容を変更しました。
後半の制作にあたり、この動画を参考にしました。
www.nicovideo.jp
(logarithmic氏制作)
今聞いてみるとこの動画めちゃくちゃレアパーツ使ってますね...おわら...きたぐに...
0:52~の部分です。
logarithmic氏の動画で度々登場しているこの方を主題にしようと最初に考えたとき、2010年から11年後の2021年を生きる僕はどうアレンジしたら良いだろうかと考えました。
こうなりました。
①GIMPで絵を描く
②Live 2D Cubism Editorで動くようにする
③Animazeで自分の動きと同期させる
④クロマキー背景撮影する
いずみんさんに色々教えてもらったおかげで無事にバ美肉することが出来ました。ありがとうございます。
GIMPは切り抜きで使っており、Animazeは直感的に操作できることが出来たので良かったのですが、Live 2D Cubism Editorの方はかなり苦労しました。チュートリアルと格闘しながらやってたのですが、そのせいで目の感知精度があまり良くなかったり、目をつぶると白目が飛び出すなどガバ・ガバです。
ただ、この動画を作ってるときに通話していたグループで少しバーチャルYoutuberごっこが流行ったりと、なかなか楽しかったです。
音声の方は流石に自分で再現するのは気が引けたので家にあった空気清浄機にマイクを近づけ離したり、マイクにテープを貼って剝がすときの音を入れるなどしました。
ここまであとがきを見て頂きありがとうございました。
皆さん、私のパートは楽しんでいただけましたか?
近況報告
何年このブログ放置してんじゃ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~い❗
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近況報告① 受験生始めました。
近況報告② 高校卒業しました。
近況報告③ 大学生になりました。
近況報告④ 京都府民になりました。
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今週のはてなブログのお題「爆発」 達成━━━━━
フリー素材のスコティッシュフォールドも怒っています。
今年もよろしくお願いいたします。
鶴見線合作2021 ノベライズバージョン 第1巻
=第1章= 愛は備長炭
"tsuruMAD-synthesis.mid"
ベージュの背景と共に英字がぬるりと登場する。しかし、音は流れない。この合作をラベリングするのにもはや音は必要ない。音MAD界隈を巻き込む一大コンテンツと化した、鶴見線合作の幕開けだ。
「俺がMCガブリエル秀樹 でもブリブリキマッてる」
軽快な音楽とともに鶴見駅に侵入する205系。岩場のカップルは、ただそれを見つめる。この声色はそう、今や押しも押されぬ人気ラッパー、ガブリエル秀樹、その人だ。
「今ここで合法的に才能発揮 安善?違う 俺は安全地帯のまさに 青田さ 合作が、始まるぞ。 会場みんなPut your hands up!」
あのガブリエル秀樹のサプライズ出演により、鶴見線沿線のボルテージは最高潮。黄色い声が上がる。ある者は浅野駅で火花を散らしつドラムを一心不乱に叩く。またある者は浜川崎駅で丸めた片手を挙げ、レーザーの中をリズムに合わせ飛び跳ねる。
「合作が、始まるぞ。」
「会場みんなPut your hands up!」
どよめきが聞こえる。
「«ドア»が閉まります!」
"鶴見線合作 はじまるでごわす" の文字が変形を繰り返す。さあ、1年越しの鶴見線合作の幕開けだ。
=第2章= Montuno No.5
"提出催促されてるけどネタが思いつかないよ~~~~^!!
このままでは記念すべき2021回目の鶴見線合作に泥を塗ってしまう(泣き "
考えてるよ氏の声にならない叫びが動画内にこだまする。若干調子の外れた女声が彼の思いを代弁するかのように、ただ響いている。主催は鶴見線合作のクオリティを下げるようなパートには、決して容赦はしないのだ。粗い画質のなか、諦めようとする。心電図のように、女声も途切れ始める。このまま2021回も続いてきた鶴見線合作の誇り高き血はここで途絶えてしまうのだろうか…
"あ!"
ここで一閃が彼を襲う。
"そろそろ構成思いつきそう!"
彼は、一縷の望みをこの205系に見出した。テールライトが希望の光のようにまたたく。彼はそれを追いかけていく。その赤いランプの先に何があるのだろうか?追いかける。追いかける。一心不乱に追いかける。近づいたり遠のいたりする205系の鮮やかな黄色い車体が目に入るなか、そのうち彼は一つの答えを導き出した。
"今から作る"
彼はそれだけを言い残し、合作から去っていった。彼が鶴見線合作で活躍することは、もう、無いのである。
~完~
これは二次創作ということを明言しておきます。
私自身は鶴見線合作には全く関係がありません。