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音MAD・旅行等

2023年8月三陸・東北旅行記①

お久しぶりです。ブログの更新をすっかりサボっていたのでリハビリがてら今年8月の旅行についてちょっくら書こうかなと思います。よろしくお願いします。

 

2023年8月23日 -0日目-

 

皆さんは京都から東北へ行こうとする時、どの交通手段を使おうと考えるだろうか。

飛行機、もしくは新幹線だろうか。

 

しかし残念なことに、私が住んでいる京都市近辺に空港はなく、また新幹線は東京を経由する上に切符代もそこそこかかる。

 

大学生の夏休みらしくお金は無いが時間はあるということで、一日かけて18きっぷで行くことも考えたが、今年の夏は大学のサークルや就職活動もあり、時間を浪費できるほどの日数を取ることもできなかった。現に、私はこの日の夕方まで大学で雑務を行っていたのだ。

 

では、できるだけ安く、効率的に移動するためにはどうすればいいのだろうか。

 

JAMJAMライナー JX362便 仙台行き

京都駅八条口→ヨドバシ仙台第一ビルバスターミナル

 

限界夜行バスのお時間がやって参りました。

 

京都駅を22時15分に発車し、名神北陸道磐越道東北道を走って明朝9時に仙台に着く便である。乗車時間約11時間。飛行機であれば太平洋を越えてアメリカにさえ行ける。

さらに驚くべき点は、この便はここから約70km離れた神戸三宮始発で、三宮から乗ると13時間。ほぼ軟禁・拘留である。

 

夜行バス界のキング・オブ・キング、はかた号の乗車時間が約14時間であることを考えると、今から乗るバスもかなり肉薄するクイーンといったところだろうか。

ただし、このバスははかた号と明らかに違う点がある。

それは、4列シートがあるという点だ。おかしいだろ。

 

しかし、今回私が乗るのは前側、3列シートである。

これは私がチキったという訳ではなく、予約時点でバスの4列部分がすべて埋まっており、3列に1席だけ空きがあった、という状態だったためである。なんで?

 

バスが来て、前側にある3列シートの右側の窓席にたどり着く。

小学生の時に初めて親と夜行バスで東京に行ってから、約10年ぶりに3列シートである。

普段4列しか乗らない私がその幸せを嚙みしめる間もなく、バスは京都駅を定刻通りに発車した。

京都駅を出ると乗務員さんからの案内があったのち、やがて、竹田のインターチェンジに乗るあたりで消灯した。

22時半である。

 

眠くない....

 

22時半というと、まだ住宅街には電気が灯り、眼下を走る電車に乗れば奈良や大阪へだって行けてしまう時間帯である。

別に眠くないのに消灯してしまった。

通路との間に仕切りがあれば、個室になっていれば、まだスマホで時間を潰すことも出来たかもしれないが、そんなものはなく、11時間も苦楽を共に分かち合う周辺の乗客から敵意を向けられるのは流石に憚られる。

 

なので、私は数時間前に京都駅のヨドバシで買ったBluetoothイヤホンを装着し、ボカロ音楽のプレイリストを聞きながらただ目を閉じていた。

幸い京都駅の乗務員の案内で、すぐに多賀SAで休憩を取ることが分かっていたので、あまり苦ではなかった。

 

京都駅を出て約1時間で、滋賀県の多賀SAに到着

 

多賀SAを発車してからは発車前に飲んだチューハイが効き始めたのか、すぐにスイッチが切れたかのように眠った。

 

2023年8月24日 -1日目-

 

有磯海SA

深夜2時半。

バスが停車するGで目が覚めた。

ここはどこだ。

調べると富山県の魚津の近くらしい。

寝ている間にずいぶん遠くまで来たなあ...と思いストレッチがてら車外に出てSAの写真を撮った。

 

有磯海SAを出ると効きすぎた冷房のせいか、腹ブロー*1を起こしたが、幸いこのバスには真ん中にトイレがあり、九死に一生を得た。

普段乗っている4列ピンチケバスであれば一巻の終わりであった。

バスのど真ん中にトイレを載せようと構造を工夫した人には感謝しかない。

 

腹ブローが収まったところで座席に戻り、適当にボカロ曲を聴いていると、また眠りがゆっくりとやってきた。上郡駅前の公園や普段のオール飲みなどで培われてきたどこでも寝れる体質に感謝しながら、また眠りにつく。

 

朝5時。

窓の隙間から朝日が差し込む。

暗くないしもう良いだろうとスマホを取り出して位置を確認する。

 

バスは何故か高速道路ではなく、一般道を走っている。

調べてみるとどうやら工事のため磐越道北陸道の接続部分が通行止めになっているらしい。

調べていたら羽越本線水原駅近くの踏切を渡った。朝5時に関西から仙台に行くバスが新潟の田舎駅の踏切を渡っているのはだいぶシュールだなと思いつつ、特にすることもなかったので2度寝への扉を開けた。

 

 

目覚めるとバスは仙台市街を走っていた。なんて都合の良い体質をしているんだ。

 

 

バスは定刻通り仙台駅に到着した。途中一般道を走っていたのに定刻通り着いたのには結構驚いた。

 

仙台駅で北東パスの発券を行った後、仙台駅から歩いて行ける、とある場所へと行った。

 

仙台花京院通郵便局である。

 

花京院といえばジョジョ3部の花京院典明である。

この郵便局はエメラルドグリーンである。

この色は花京院典明のスタンド、ハイエロファント・グリーン(法王の緑)に似ている。

よってこれは花京院典明である。

Q.E.D.

 

前回仙台にジョジョの聖地巡りで行けなかった場所だったので来てみたが、実際に見てみるとただの都会の郵便局であった。写真を撮り、歩いてあおば通駅へ向かう。

 

あおば通駅

仙台で一番やりたかったことは、この仙石線に乗ることである。

まずはやってきた小鶴新田行きに乗って、終点の小鶴新田まで向かおうとしよう。

 

あおば通駅9:37発 普通小鶴新田行き 975S  

 

小鶴新田駅

ここで降りた理由はここが終点であったこと以外に、全国でも貴重な中期型の簡易永楽型放送を使用しており、収録したかったという理由もある。

駅のすぐ横ではタワーマンションが建設中で、いかにも仙台近郊の通勤圏という装いである。

 

この後、あおば通駅まで戻り、あおば通駅の放送を一通り収録したあとに今度は1~2時間に1本しかない石巻行きの電車に乗って石巻に向かうこととした。

 

あおば通駅10:48発 普通石巻行き 1021S  

 

多賀城、塩釜といった街を通り過ぎる。本塩釜駅を出たところで港町という風景が広がって、旅に出ているぞ、という感じがしてとてもよい。

 

また、陸前浜田駅近くで列車は海の近くを通る。青々とした空と海に挟まれて映る松島は、網膜の記憶に今も焼き付いて離れない。

 

松島海岸駅に到着

列車は松島海岸駅に到着し、大半の旅行客がここで降りた。列車はここで対向列車と行き違いをするらしい。

反対側のホームには大勢のお客さんが待っている。松島には以前フォロワーに車で連れてきてもらったことがあるが、仙石線に乗って通るのは初めてで、観光路線としても仙石線は申し分ない働きをしていることを感じる。

 

列車はそのあと海辺と平野を快走し、終点の石巻に到着した。

 

12時過ぎの石巻駅

奥に止まっているのは石巻貨物だろうか。私は貨物列車には詳しくないのだが、石巻には貨物線があり、石巻線を通って仙台まで行くということは耳にしたことがある。

 

そんな石巻であるが、また後の時間帯に来るので、乗ってきた電車の向かいに止まっていた仙石東北ラインで折り返し、とある場所に向かった。

 

野蒜駅に到着

石巻駅から約25分、東松島市に所在する野蒜駅に到着した。

この駅、実は、2015年に今の高台の場所に移転開業しているのだ。

2011年に発生した東日本大震災において、東北地方の太平洋沿岸部は甚大な被害を受けた。当駅もその1つで、駅構内が津波による甚大な被害を受けた。

駅ホームからも太平洋と旧駅舎が見える。

津波の被害を受けた駅舎や駅ホームは現在、東松島市震災復興伝承館として保存されている。

 

実は今回、東日本大震災の震災遺構を巡るというテーマを設定している。

普段旅行に行く際は行き当たりばったりで、電車に乗りながらGoogle MAPを見て、気になった場所に降りるというスタンスで行っていたが、今回は事前に行きたい場所を調べ、そこに余裕を持ったスケジュールで行く、という姿勢で旅行していこうと思う。

これが本来の旅行の姿では?という質問は異常移動独身男性には愚問である。

 

高台から新しめの地下通路を通り、坂を下っていくと、野蒜駅の旧ホームが見えてきた。

駅から徒歩15分で震災復興伝承館に到着

旧駅舎は海側にあり、その前に駅ホームが横たわっている。

8月の宮城、野蒜駅から歩いて10分程度とはいえ暑さは厳しく、吸い込まれるように駅舎の中へと入って行った。駅ホームは中の展示を見てからじっくりと観察しよう。

 

旧駅舎の中に入る。

入場料は無料で、入ると復興支援でラルフローレンがハンカチを無料配布していたので、その恩恵にあずかる。ちょうどハンカチを家に忘れていたので助かる。

 

2階には東松島市の被災状況が展示されていた。

津波によって破損した券売機

2011年当時、私や周りの親戚一同は全員愛知県より西に住んでいて、小学生だった私に東北や関東に知り合いがいるわけもなかったので、正直「対岸の火事」という表現が一番正しかったと思う。

しかし、テレビで何となく見ていた津波の脅威が、目の前に実物として表れている。また、2階で放映されていた小学生から高齢者まで、さまざまな年代の津波の生存者の語りをまとめたドキュメンタリービデオには見入ってしまった。

私と同年代、もしくはそれよりも下の子どもたちが津波の脅威を経験しながらも、故郷に残り、たくましく生きている様子は、自分の心も締め付けられるような思いである。

震災の時刻で止まったままの時計

1階に下ると、被災を経験した東松山市がどのように現在まで復興の道なりを辿っているのかを展示している。

ここでもう1度受付に目をやると、ビデオで被災されていた主婦の方が受付で談笑しているのを見て、被災された方が今も元気に故郷(かどうかは分からないが)で働けているんだなあ、と復興が一歩ずつ進んでいるという実感が湧いた。

 

本来は野蒜駅を1時間後に出る列車に乗るつもりだったが、ビデオに見入ってしまい、滞在時間をもう1時間伸ばすことに。出来た時間で1階のノートに復興への願いを書き込む。

3.2m。ここまで津波が到達した。

外に出て、旧駅舎周辺を散策する。

駅前を東名運河が流れている。

駅舎から数分歩くと、海岸線が見えてきた。

 

今は波もなく、とても穏やかな水辺だが、2011年のあの日にはこれらが津波として日常の暮らしを奪っていった。

考えられない話だが、私も歩いて海が見える位置に実家があるのだ。決して他人事ではない。

旧駅ホーム

行きに素通りした駅ホームをぐるっと観察する。

一見普通のホームに見えるが、よく見ると向こうにぐにゃりと曲がった線路が見える。

また、駅看板は曲がり、地面はひび割れ、電柱はマイケル・ジャクソンばりに斜めになっており、津波の力を思い知らされる。

地震被害のため、駅ホームの中には入れなくなっていた。

開業当時は駅ホームにも入れたらしいが、ここ最近の地震の影響で駅ホームが破損し、中に入れなくなっていた。地震から12年経った今でも、東日本大震災の余震が続いているらしい。

 

滞在時間約1時間半。想像していたよりもめちゃくちゃ見ごたえがあっていい施設だった。

帰りに野蒜駅までの坂を上っていく中、ふと振り返ると高台から海岸線が見える。

この穏やかな海が牙を剥いたのだと思うと、行きしにも見ていたはずの海がまったく違うようにも見えた。

 

野蒜駅から仙石東北ラインに乗り、石巻駅に戻った。

ここでは駅放送を録りつつ、石巻駅周辺を散策する。

 

駅前にはデカいイオンがあると思ったら市役所だし、その前には仁王立ちの覆面男が鎮座している。なんて街だ。

 

石巻駅には駅名連呼があるのだが、訪問時は操作しないタイプの駅員さんが立っており、収録することが出来なかった。くっそ~

 

さて、ここからの旅程を説明したいと思う。

 

まず、夜のメインイベントは、仙台駅20:47発の仙石東北ライン快速女川行きを収録することである。

この列車は仙石東北ラインの列車で唯一石巻から先の石巻線に直通し、女川まで向かう列車であり、石巻~女川間をHB-E210系で運転する唯一の列車である。また、車内放送は田舎のワンマンで使われるような放送ではなく、東京と同じ三浦七緒子氏による放送である。放送鉄として石巻まで来てこの列車を逃すわけはない。

しかし、この列車の致命的な問題として、女川まで行くと、帰りの列車がないのだ。

女川駅周辺にはネットカフェなんてものはもちろん無く、安価の宿泊施設が存在しない。

 

ならば、どうするか。

 

なんてことは無い。

 

帰りの足を自分で用意すればいいのだ。

 

 

石巻駅前でカーシェアで車を借り、女川駅まで行くことにする。

見知らぬ土地でのドライブである。

 

この区間を運転して思ったことは、夕方は石巻→女川の流動よりも女川→石巻の流動の方が意外と多いな、ということである。女川原発などの施設から帰宅する人々だろうか。都市の規模的には石巻の方が圧倒的に大きいので、とても意外だった。

 

峠を越え、約30分で女川駅に着いた。女川駅周辺は広々とした駐車場が無料だったので、とても助かる。

運転してきた車。車種は忘れた

これから列車に乗るために石巻方面へ列車で戻るわけだが、列車が来るまでに時間があったため、駅前から歩いていける震災遺構も見てみる。

 

 

旧女川交番である。

津波によって女川も甚大な被害を受け、海近くにあったこの交番は基礎ごともっていかれ、横転してしまった。ここでは横転した交番ごとそのままの状態で展示している。

 

恐らく地面に埋まっていたであろうコンクリートの柱が野ざらしになっている。

ここまで津波の力は強いものなのか。恐るべきである。

 

列車の接近が近づいてきたので、5分ほどで駅に戻った。

 

1面1線のシンプルな駅であった。

程なくして列車が入ってきたので乗り込む。どうやら仙台の方の車両基地で信号故障があったらしく、遅れてやってきた列車はすぐに折り返し小牛田行きとなった。

 

万石浦のそばを進む

レンタカーの中からも見ていた万石浦を望みながら石巻へと進む。

石巻仙石線に乗り換えて、仙台へと戻る。

この時間になると陽が落ち、周りも何も見えなくなってきたので、ブルアカのデイリーミッションをこなしながら仙台へと戻って行った。

 

仙台駅

ここでご飯を食べて快速女川行きを待つことにする。

仙台駅ナカの立ち食いそば屋でかき揚げそばを食べる。

 

おいしかった。

 

ということで、1日一本の快速女川行きに乗りこむこととする。

しばらくすると入線してきた。

 

この列車も信号確認のあおりを受けて、20分ほど遅れて発車した。

真っ暗闇の中、いくつもの駅を飛ばしながら疾走し、列車は石巻まで到着。

ここからは女川行きの最終列車である。

 

陸前稲井」「渡波」「万石浦

石巻線の車内で、ローカルな地名を三浦さんの声で読み上げて行く。違和感の塊である。

列車は終点の女川に到着。ここから折り返して石巻まで回送するらしい。また、朝の女川始発の仙台行きも石巻から回送してくるらしい。せっかくだから乗せて行ってくれよ~

 

22時半の女川には開いてる店もコンビニくらいしかなく、こうなればさっさと石巻まで車を飛ばすのが吉である。

 

夕方と違い、ガラガラの道路を走りながら峠を越えていると、左側になにやら物陰が見えた。

 

嬉野雅道シカでしたUC - ニコニコ動画

 

シカでしたとは (シカデシタとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

 

幸い気づくのが早く、衝突は避けることが出来たが、街灯もない峠の曲がり角で野生動物と衝突するのはマジ勘弁である。初めての経験だったので普通にビックリした。

 

そんなトラブルもありつつ、返却期限の1分前に石巻駅の返却場所に到着。

その後は石巻の快活で明日に備えて早めに寝たのでした。

 

次回に続く~

*1:腹痛の意